今回は”上佐野町”と”寺尾町”を結ぶ『佐野のわたし』のご紹介です。古くよりこの地は烏川の両岸を繋ぐ渡河地点として、地域間の交通や経済の交流に重要な役割を担ってきたと伝わっています。明治・大正期には渡船場があったそうで、荷物等を運んでいました。
現在では、その場所に車の通行は不可の木製の橋が架かっており、当時の歴史を今に伝えています。上佐野から寺尾は隣町なのにも関わらず、烏川がある為、城南大橋まで周らないと行けず、まさしく『近くて遠い』と言った感じですが、この『佐野のわたし』があるおかげで容易に行くことが可能となっています。渡ってみると結構長く、木製だからか揺れる事もあり、少々怖いです。但し人の往来は多く、地域に根付いた必要なインフラであると感じる事は出来ます。
また、奈良時代の『万葉集』の上野国歌に『佐野の舟橋』の歌が収められているそうで、その時期にはたくさんの舟を連ねた上に板を載せた『舟橋』が両岸を結んでいたとの事です。あの『葛飾北斎』もこれを題材とした『佐野舟橋の図』を描いたそうです。
景色も良好ですので、清々しい気持ちにさせてくれます。前述の通り、車の通行は不可となっているのでお散歩コースとしても最適です。
因みに歩きで渡るのがキツイと言う方は近くに『上信電鉄佐野のわたし駅』があるので、電車を利用して対岸へ渡る事も可能です。こちらは2014年に開業したばかりの駅ですね。かつては舟で渡っていた佐野のわたしも現代では電車で渡るように進化を遂げているようです。
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J ishihara
TAKATANでは、
主に記事作成、htmlとかcssとかを担当。
趣味は山登り、お絵かき、画像編集。
いつか群馬県の山を擬人化したサイトを
作りたいのですが、時期は未定。
取りあえず、至仏山は私の嫁です。