時の征夷大将軍『徳川家康』
家康と言ったら、1603年征夷大将軍に任命され江戸に幕府を開き、以後264年にも及ぶ太平の世の礎を築いた人物です。264年ってすごいです、どれぐらいかと言うと、明治維新から現在までまだ約150年程度、つまり江戸時代の59%の時しか経ておらず。しかもその間に多くの争いがあったことを考えますと、やはり『すごい』と感嘆せざるを得ないと言えます。
しかし、文化・文明の発達は急成長したと考えられます。
江戸時代よりもはるかに短い期間で、刀を携帯していた時代から、スマートフォンを携帯する時代へと変わったわけですからね、変化は望まないとずっとそのままですし、望めば急速に変わっていくものだ、そう考えてしまいます。
幕末のころ坂本龍馬が、持ち物を刀から銃、銃から万国公法へと持ち替えたなんてエピソードがありますが、そんな龍馬もびっくりしてしまいすね・・・
急に徳川家康公の話となり申し訳ございません・・・
話が大分ズレましたが、群馬県それも高崎市は徳川家康とは、決して無関係な土地ではなく、中山道もあったこともあり交通の要所として比較的重要視していた土地と言えます。徳川四天王の一人『井伊直政』を置いていたくらいですから、それだけでも、そのことが伺えると考えられます。
で、タイトルの『高崎城』ですが、その井伊直政が箕輪城を1598年に廃し、築いた城で直政はその後現在の滋賀県(彦根)に移封となりますが、高崎城の城主は譜代大名が入れ替わり続け明治維新を迎えたそうです。
現在は跡地に音楽センターや市役所・図書館などが建っており、残念ながら遺構としては土塁と堀のみで、天守閣等は残っておりません。
因みに高崎城のお堀は上記写真の通り、桜の名所になっていたり、
公園が整備されていたりします。木々に囲まれ、小川が流れ、お散歩等におすすめです。