突然ですが奈良県に行った事はありますでしょうか?
まあ中学か高校かの修学旅行先に京都と共に選定されることが多く、殆どの方が行った事があるのではないかと思います。多分に漏れず筆者も中学校、更には高校時の修学旅行の際、その後も数回にわたり訪れていて、法隆寺・薬師寺・興福寺・東大寺等々、代表的な寺院を観光しながら、かつては平城京があり古代日本の中心だったことに思いを馳せ、この場所に聖徳太子(我々の年代は厩戸皇子と習っていないのですよ)や藤原不比等(多胡碑の銘文に名がある)がいて、普通に生活していたのかと考えるとある種の感動を覚えたり、薬師寺のお坊さんの話の面白さに、何だかんだ行って流石は関西だと衝撃ならぬ笑撃を覚えたりしました。総じて気に入った場所で、何度訪れても良いなと個人的に感じている次第です。
そんな古代の都『奈良・平城京』の雰囲気を味わうことができる場所がこの高崎市内にもあり、ご紹介したいと思います。
東国分町・西国分町・引間町にある『上野国分寺跡』です。所謂『国分寺』というものですね。小学校か中学校の社会科の教科書には必ずその記述が出てくるので、覚えていると言う方も多いのではないでしょうか?天平年間(729~749年)に飢饉や災害が多発した為、仏教の力によって国の安泰を図る『鎮護国家思想』に基づき、東大寺に大仏が造立され、その同時期に聖武天皇より国分寺創建の詔が発せられ、全国に建立された寺院です。
上記写真は寺院がまだ残っていた当時の伽藍配置図及び模型となります。
このようなものが現地にあると非常に分かりやすいですね、実際の所は誰も見たことが無いので本当にこのような形をしていたかどうかは不明ですが、事実だとすると七重塔がある事から法隆寺等の奈良県を代表するような寺院が群馬にもかつてはあった事が伺えます。現在は当然ですが・・・
上記写真の通り寺院は残っていません。無くなった時期としてはあまり明確にはなっておらず、少なくとも14世紀ころには無くなっていたとされ、それから長い間田畑となっていたそうですが、1926年に史跡として保存が図られるようになりました。本当に最近です、こんな歴史的に見ても重要なものが長い間放っておかれた事実に驚かされますね。で、戦後敷地の買い上げが始まり、発掘調査が行われ、一部を復元されました。
復元されたものとしては、南側の築垣、七重塔の基壇、金堂の基壇があり、他にもガイダンス施設が設けられる等しています。
こちらは復元された『南側の築垣』です。中々立派ですね。個人的にはこれを始めてみた際には、平城京の跡地に行った時を思い出しました。
で、南大門があったと推定される位置です。東大寺でいうと運慶・快慶作の『金剛力士像』がある所ですね。
こちらが復元された七重塔基壇です。建物は勿論残っていません、無くなった理由としては、火災等々諸説ありますが、ガイダンス施設で聞いた話によると、発掘調査の際に七重塔があったとされる位置の南側より瓦が多数発見されたことから、建物の経年劣化に伴い、群馬特有の北から南へかけ吹き付ける風、通称赤城おろしによって倒壊したそうです。このころからこの風は悪さをしていたのですね。
で、ガイダンス設備の方に模型の展示があります。非常に立派ですね、高さで約60.5mあったとされており、全国的に見ても最大級の規模を誇っていたとか、是非ともここまで復元してほしいと思ってしまいがちですが、建設費でも相当掛かると言うのに、年間の維持費が約1億円程掛かるそうで、それを税金で賄うのは大変な為、復元されることはまず無いとの事です。残念ですが仕方ないですね。この話を聞いて、現在においても当時の姿を残している、法隆寺や薬師寺、興福寺等の寺院は凄いですね。関係者の方々や地元の方々の相当足る努力が伺えますね、なんでお寺を観るだけで拝観料がとられるのかと思ったりもしましたが『申し訳ないもっと払います』と考えが変わります。
復元された金堂の基壇
東大門の推定位置
北大門の推定位置
西大門の推定位置
こちらはガイダンス施設となります。周りの景観に調和した立派な建物となっています。ここでは国分寺についての説明を無料で聞くことができる他、発掘調査によって発刊された遺物を見る事ができたり、既に紹介しましたが、七重塔や伽藍配置の模型も置かれています。
車が複数台駐車できる場所も確保されていますので、気軽に出かける事ができ、この辺りに住んでいる方の憩いの場やウォーキングコースとしても利用されているそうです。因みに何故この位置に国分寺が建立されたかのと言うと、古代日本において上野国の中心がこの場所だったからだとか、この辺り一帯を『国府』と呼んでいるのはそれに因んでいるのでしょう。実際、保渡田古墳群や総社古墳群等を初めとする大規模な古墳も多くあり、北谷遺跡(所謂引間城)や蒼海城跡がある事から当時は力のある豪族がこの辺りに住んでいて、栄えていたと言う事が伺えます。
Author
J ishihara
TAKATANでは、
主に記事作成、htmlとかcssとかを担当。
趣味は山登り、お絵かき、画像編集。
いつか群馬県の山を擬人化したサイトを
作りたいのですが、時期は未定。
取りあえず、至仏山は私の嫁です。